俳句について その9
昨日も言ったように、私は「伊藤園 新俳句大賞」の入選全句について、
いつも自分なりの「批評文」を書いている。
主催者や作者の了解なしに、この入選句をここで引用するのは、
本来ルール違反で、もしかしたら法的にも違反なのかもしれないが、
ネット上にも公開されている句であり、何の影響力もない私のような人間が
書いたところで、誰も咎めないと思うので、一回だけ私の見解を
ここに披露してみる。 むしろこの「大賞企画」を応援することに
役立ってもらえることを希望するものである。
もちろん作者のコメントや審査員の批評を読む前に書いたものである。
これは昨年の最優秀賞を得た一句である。
猫の載るヘルスメーター文化の日 (27歳)
私の批評文
「ヘルスメーター」とは、載るだけで体重だけでなく、体脂肪率など健康状態を知るためのいくつかの数字を表示できる器具で、今は大抵の家庭にある便利な道具だ。
健康は生きている者なら誰でも、そうありたいと願い、日ごろから気にしている。
そんなヘルスメーターに飼い猫がちょこんと載っている、そんなどこにでもありそうな何の変哲もない日常の風景を切り取っている。 この句のポイントは、そういう日常風景と「文化の日」という国民の祝日である、異質な特別な日との取り合わせにあると思われる。
「文化の日」といえば、学問、科学、芸術、芸能、文芸、などのあらゆる分野で最高峰に達した人に「文化勲章」が贈られるという、文化・文明の意識を国民のみんなが持つための特別な日である。 そんな特別とは、全く無関係な「猫の載るヘルスメーター」、それでも、もしかしたら猫も多少は健康を気にして、文明の利器である「ヘルスメーター」を利用しているかもとも思う、ちょっと笑える光景を取り合わせた面白さがそこにある。
ではなぜ「文化の日」なのか、「子供の日」でも「海の日・山の日」でも「成人の日」でも「天皇誕生日」でもなんでもいいのだが、「文化」という人間にとって特別に「崇高」と思われる「高みにある事象」と、敢えて「ありふれた日常」という、かけ離れたものとをぶつけ合ったということが、この句の最大の高評価につながったのだろう。
俳句は「意外性」が一つの大きな評価のポイントである。
全部が当たり前では、「それがどうしたの?」となるだけで、面白くもなんともないのだ。
ヘルスメーターに載っているのが「猫」であることも一つの意外性であるし、たとえば、
もし、この句が「妻の載るヘルスメーター春日和」であれば、ただの凡句でしかない。
この句は特別に変わった奇抜な言葉も遣っていないし、哲学的な深みを狙ったものでもない。 個々の五七五の言葉自体は、それぞれありふれたものだけだ。
しかし、全体として見たとき、下五の「文化の日」がこの一句全体を「高み」へと押し上げて、ある種、崇高な雰囲気をもって締めくくられていることに気が付く。
これはもちろん作者の意図であるし、そこの狙いが見事にはまったといえる。
最優秀に選ばれた理由もまさにそこにあるといってよかろう。
「伊藤園新俳句大賞」の評価の基準にぴたりと、はまったといっても過言ではないのだ。