俳句について その3

そういう意味では、世にある多くの「俳句コンテスト」の

あり方をもう一度考え直してもいいような気が私はします・

 

たとえば「歌の世界」にも、各種の賞がありますが、

この賞への応募という形は取っていません。

自由にリリースして公開された多数の曲の中から、

その賞の趣旨に相応しい作品を「各賞の選定委員会」が選んで、

賞を与えています。

芥川賞」や「直木賞」などの小説文学界も同じです。

だから創作者はいつでも自由に、出来のいい作品を

世の中に広く公開することができます。

 

ブログ投稿などは全く私的なものですが、俳句の世界でも、

アマ俳人のためのネット上の「俳句投稿公式ページ」的な

ものがあってもいいような気が私はしているのですが・・・

場合によっては、一つの秀句がいくつかの賞を重ねて

受賞してもいいのではないかなと・・・

俳句好きのみなさんは、どう思われているでしょうか?

 

ただし、これはアマとプロを一緒くたにしてという話ではなく、

プロといわれる俳人たちの賞レースは従来通りあるわけですから、

また別の話だということは、最後にお断りしておきます。

 

俳句について その2

我々が普段使っているこのインターネット上には

いくつもの「ネット句会」というものがあります。

入会して会員となれば、定期的に投句ができ、

選句は多くが会員の互選によるものです。

多くの会員が支持した句は評価され入選となります。

 

私もこれまでいくつかの「ネット句会」に参加したことがあります。

確かに多くの会員が支持した句には「なるほど」と、

人を納得させる要素が感じられます。

そういう意味では大変参考になり、勉強にもなります。

実際に会員たちが集合し顔を合わせる「句会」と違って、

ネット句会は自由で気ままで、煩わしくないところが利点です。

 

しかし問題もあります。

「ネット句会」は完全オープンなので、ここに公開した俳句は、

コンテストなどへの応募ができなくなります。

私のようにコンテストへの応募を併行している者にとっては、

これが大きな制約になるのです。

 

「ブログ」も同じですが、ネットに公開する俳句は元々、コンテストには

出せない程度の出来のものでしかない、ということです。

あるいは、コンテストに落選した程度の出来のもの、ということです。

コンテストに応募したいような、良い作品は、ネットには出せない、

そのあたりが今の私にとっての、大きなジレンマなのです。

 

初めまして

みなさま、初めまして、今日からこのブログを

開始した「烏有の人」です。

ともかく「言葉」に興味を持ち、小説こそ書きませんが、

随筆、自由詩、歌詞、短歌、川柳と渡り歩き、

究極の日本の短詩「俳句」にたどり着いて5年ほどになります。

俳句はやればやるほど、奥の深さに引き込まれます。

俳句は「省略と削除」の文学です。

いかに無駄を削ぎ、精錬に精錬を重ねて純金に近づけるか、

究極の「ダイエット文学」とも言えましょう。

それは主に「表現技術」の話なのですが、

それにも増して大切なのが「感性」の部分、

これはむしろ持って生まれた「天性」かもしれません。

単純な「ひらめき」とか「思いつき」を超えた、

生まれつきの「本能」から出てくるものなのでしょう。

それだけに、その良さは「多数決」で決するような

ことではないとは思います。

しかし、コンテストとなれば、どうしても多数の支持を得た

ものしか選ばれないという、世の不条理な現実があります。

まあ、そんなわけで、今の私の「俳句」への思いの一端を綴ってみました。

俳句にご興味をお持ちの方は、これから、よろしくお付き合いください。

「絵もない、花もない、飾る言葉だけの居酒屋」のようなものです。

2020年1月19日 烏有の人